こんにちは。劇団木霊2年代役者の髙橋陸生です。もう8月も終わりますね。信じられません。2月下旬頃から新型コロナウイルスの影響で多くの稽古場が封鎖、公演が延期になりました。僕も役者として出演予定だった5作品が延期・中止になっちゃいました。いやー、しかし稽古がないとこうも毎日って空虚なんですね。サークルやってない人って普段何してるん???って思います。まあ僕の時間の使い方が下手なだけなんですけど。日中全然生産的なことが出来ずに、結局夜更かししちゃう、みたいな生活を何周もしてたら4月とか8月とか一瞬で溶けました。
まあそんなこんなで(唐突)劇団木霊は9月から本格的に新歓活動を始めます!!やったね!!
この写真は去年9月に行われた新人公演『鯖々』の集合写真
劇団木霊の特徴の一つとして、専用のアトリエを所有しているということが挙げられます。稽古場や公演会場としては勿論のこと、劇団員であれば普段から比較的自由に使える場所です。僕はここが好きなんですよね〜、別に特別何があるというところではないというか、いや、何かがあるということにはそれほど重要ではなくて。自分の部屋のように自由に感情を遊ばせる場所でありながら、そこはある意味では安心できない独特な雰囲気を感じさせるような。何だろうな。うまく言えないんですけど、家が心の延長線上で、ある種不可侵であることを願う空間であるなら、アトリエは同じように心の延長線上にありながら、空間と人が与える変化を許容していくような?
まあ、ちょっと違う気がするな、要はあの空間は創作者にとってもその享受者にとっても常に創造的であるってことで。そんなんでいいや。曖昧な言葉から好きな要素すくって自分で想像してくれ。
せかいでいちばんはやいのは、あなたのソウゾウリョクです!みたいな絵本ありましたよね。あなたはその思考一つで瞬時に任意の場所へ、ある人の心へ、とある平行世界へも旅立つことができます。ただその世界に積極的に介入しなければ、あなたは結局どこへもいけないどころか、現実の不自由さに絶望するでしょう。なんつって。要は妄想を妄想のままにして現実と明確な線引きをしちゃう人生ってどうよ?ってこと。ん?適当にまとめ過ぎかも。
何が言いたいかって、一緒にここで演劇やりませんか?ってことです。僕はここに至るまで随分と乾いた人生を送っていました。何かと現実的というか、目の前の現象と感情、後はこれからの自分の目標を決めて、人生をある一つに定めたつもりでした。綺麗な筋道を作ることで、自らの人生を、あるいは自らが何者であるかを考えたつもりでした。一つの結論を出し、ある種の呪縛から解き放たれたつもりでした。ま、あくまでこれは僕自身の話で何の根拠にもなり得ませんが。つかこの自分語りなんだよ。
(ちょっと余談ですが、こういって思考を止めてしまうことも人生に対する「絶望」と呼ぶらしいですね。キルケゴールの考えだとか。僕の一個前のブロガーがそんなことを言っていました。ま、哲学的な話は皆さんもいい加減飽きたでしょう。)
世界の誰よりも優れたあなたの想像力、唯一無二のその力。心に留めておくだけでは勿体なくないですか?あるいは辛くありませんか?もし、あなたの心の叫びが描いた景色がどこまでも広がり、どこへでも繋がっている、そんな場所があるとしたら、そこへ向かいたいとは思いませんか?
あなたは人生から何を得て、何を考え、何者でいるべきかを本当に考えたことはありますか?幼き頃の自分は、今でも生きてはいますか?あなたが感知し得なかった、あるいは抑圧し続けてきたあなたと対話する場所があるとしたら、そこへ向かいたいとは思いませんか?
思うでしょ〜〜〜???
じゃあ
世界最高の場所へ案内しましょう(ドヤ顔タイトル回収)
もう一つ真面目な話をするとこの『トランス』、この作品にもあなたが不可欠です。あなたに届いて、あなたの心に触れて、その芯からの叫びがこの劇を完成させるだろうと、僕はそんな風に思っています。(てか演劇って大体そうじゃね?)(うるせえよそれっぽくまとまってるだろ)
さあ!全体的に流れも内容も意味のわからない話だね!でもよ!普遍的なことを喋ったって面白くないじゃねんね?!個人の感覚なんて分かりづらいもんよ!!なあみんな!!!
ってことで駄文でしたがここら辺で。
あ、8/29と9/9、9/23にオンライン交流会があります。実は僕そこそこユーモラスな男として名を馳せている(妄想)ので良かったらお話ししましょう。
では。
劇団木霊2020年本公演「トランス」
主宰|菅原茉利奈
作・演出 | 弁象庵
Coming soon....
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