いつもともだちさ/『トランス』

 弁象庵と申します。役者ブログって聞いていたんですが私も書くことになっていました。それにしても、ブログっていうのは何故こんなにも書くに心がかすれるのでしょうか。どう思われるのかとか考え出したら割腹直行便。あ、自意識がジュリーが着けてたパラシュートくらいでっかい。
 今日は長々薄~い言葉を重ねて当たり前のことを反復しますので、ぜひともお読みにならないでください。

 根がダサい。情けないとかカッコつかないものを愛好してしまう節がある。カッコよくないカッコよさ、のような、わかりますか、これ。あ、でもおそらくカッコよくなれない自分を守る反応。オシャレしたい人生でした…

 ①主/客とは、存在と存在の間の隔絶です。
 ②今、あなたはこの文を読む主体ですが同時にこの文に考えさせられる客体です。つまりこの文を読む行為においてあなたは主観的に主/客未分です。
 ③あなたでも文でもない筆者はあなたと文の関係について、あなたを主体とも客体ともみることができます。つまりこの文を読む行為においてあなたは客観的に主/客未分です。
 ④上の事はあなたのあらゆる行為について言えるので、あなたは主/客未分です。
 ⑤ここでの存在(あなた・文・筆者)はいずれも任意の存在に代替できるので、すべての存在は主/客未分です。
 ⑥すべての存在の間には隔絶がないのですから、すべてはすべてであり得ると共にそれそのものでもあり得ます。
 ∴全は一であり一は全です。

 だとすれば、競争は同士討ち、喧嘩は自傷行為、戦争は自決です。あなたのうっかりが数多のあなたを絶望に陥れ得るのです。

 悲しいことは、あまりにも多い。そして私は、容易に悲しくなれてしまう、即ちょちょ切れ。終いにはなぜそんな悲しいことができるんだ!と💢💢💨して、ケロッと忘れてみたりする。まあここではそんな雑さを語りたいのではなく。
 なぜ~!💢💢💨となっている私のダメなところ、それは自分の悲しいにすっかり飲み込まれているところ。
 怒って、憎んで、殴って、殺して、という時その心は非常に悲しんでいる、自分や他人の、大切なものが傷つけられて、悲しんでいる。
 私は悲しい、君も悲しい、みんな悲しい、そのグズグズな心をさすりあう。弱者の倫理とはその通り、でもいまは、他に幸せの道筋が見えてこない。
 Q.そんなの理想。現実にはうまくいきっこないよ?
 A.本気で人の悲しみをさすってから来い
 Q.自分が悲しいのに他人を気にしなくちゃいけないんですか?
 A.話聞いてましたか?自分が悲しいのと同じくらい他人が悲しいっていうイメージを持つことです。愛です。
 Q.私は中々さすれないです。いつかそんなことができるとは思えず、不安です…
 A.大丈夫、私もできない。なんか色々、できないから/むずいから/おそいからって、自分を責めることがある。でもそれ、大丈夫だ、意識してるかどうかはともかくとして全員同じ。それに、こんなガヤガヤ言ってきたけどこの通りにする必要なんてどこにもない。たぶん色々なことそうだよ、頑張り過ぎるな。

 それでも、割りきっても割りきれない、それで、あー、生きられない、そういう日がある、そしたらやめる。なにもしない。なにかしなくても、誰かが、少なくとも私は、君を愛している。そういう気持ちがむしろしんどいってのもある、その時はごめんなさい、黙っているけど、心の中ではガンバレって言っている。

 いま、つらい人、多いのかしら。誰とも目が合わないミーティング、meetingじゃねぇし。
 しっかり考えて、悲しいことを悲しいと思えたり、悲しいと思えないことがあるかもしれないと気付いたり、悲しいことを悲しいと思えないことが悲しいと知ったり、そういう感じが増えていったら、それはよいことなんじゃないか。だって、悲しいのは嫌でしょう?
 
 要は、
しあわせなんて何を持ってるかじゃない 何を欲しがるかだぜ

 いろいろ言ったけど、そういうことが『トランス』にちょっぴりずつでも乗ってゆくといい。違うからって線を引いた後には必ず傷が残る。誰も同じように悲しいんだっていうのを、くさったりちょけたりせず、一度、真面目に考えたいと思った。的な。
 しかし結局、言葉でいくら考えても、演劇にするときめちゃくちゃワケわかんないんですけど。パニックです。半年ずっとパニック。だからこそ、高揚しています。

 目撃していただけたら、こんなにうれしいことはありません。


劇団木霊2020年本公演
『トランス』
主宰|菅原茉利奈
作・演出|弁象庵
coming soon...

劇団木霊

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