さよならのかわりに/水無月光梨

ご無沙汰しております。
もう遠い遥か昔の出来事のように思えますが、先日無事に全公演終了いたしました。

ご来場くださった皆様はもちろん、
当日行けなくても、
このブログを読んでくださった方や、
少しでも気にかけてくださった方も
本当にありがとうございました。


今更、作品について語ることは無く、
ご覧頂いたものが全てなのですが、
ブログにてご挨拶しないのもいかがなものかと思いまして、つらつらと綴っております。



と、格好つけて言いましたけど、要は
じゃあまたねと背を向け歩き始めた後、
まさかなと思っていても振り返ってしまう
あの時の気持ちで、ここぞとばかりに職権を乱用し、盛大なるセンチメンタルジャーニーを敢行しようという魂胆です。
もしこれを読んでいる方で、公演の裏話や
今だから言えるあの日、あの時!的なものを期待している方がいたらごめんなさい。
全然そんな話はしません。
わたしの話をします。



稽古の間、わたしはずっと察して探ってを繰り返していました。
相手を傷つけないように、
相手の出方を伺っては言葉を選んでいました。

それを誰もが「気を遣う」と形容していましたが、そうではないのです。

本当のことをありのままに語って
嫌われるのが怖かっただけ。
相手を傷つける(こう思うこと自体、傲慢ですが)ことで自分が傷つきたくなかっただけなのです。

話さなければ相手のことなどわからない、
まずは食事でもして話せというテーマを掲げながら、わたし自身が一番それから逃げていました。


思えばわたしはこのことをずっとサボってきました。特に父との間において。
父はとても真面目で筋の通ってないことを許さない人だったので、わたしは幼い頃からビクビクしながら接していました。
どう言ったら伝わるか、ではなく、
どう言ったら怒られないか、機嫌を損ねないか、そんなことばかり考えているうちに話すこと自体億劫になり、徐々に苦手意識を持つようになりました。というより、苦手、というある種のレッテルを免罪符に、父から逃げる口実を作っていたのかもしれません。

でも、今回の公演でひたすら
今まで避けてきた誰かとちゃんと話すこと、
すなわち向き合うことから何とか逃げずに
(何度か投げ出しそうにもなりましたが)
本番を迎え、それを父にも見てもらいました。

見終わった父は特に感想を述べるでもなく、
ただ一言「よくがんばったね」とわたしに言いました。なんだかそのたった一言で
ああ、そっか、わたしはこの人の娘なんだと思いました。


だからなんだって話なんですけど。


それまで「父」とか「娘」という役割ではなく、その人そのものを見るべきだという考えだったので、
親、とか、子、という意識があんまりなくて人、と、人、という捉え方をしていてました。だけど、わたしはやっぱりこの人にとってから見たら子どもで娘なのだなと。

その人の持つ役割(「先生」とか「先輩」とか「恋人」とか)としてしかその人をみなさないのはやっぱり違うな〜と思いますが、
でもその役割として生きてきたその人もその人の一部なわけで、わたしに見せている部分はその役割として生きてきた、その人自身なんだと気づきました。

この役割とその人自身の区別ができたことで、自分とその人、の区別もつき、
やっと親離れした、と感じました。
「親子」という関係からは逃げられないのに、人と人という捉え方をしようとすることで、かえって父と自分をどこかで同一視していたことから解放されたのかもしれません。




今回のお話は、関係性の名前、
つまりお互いが持っている役割の名前など関係なく、大切な人にはちゃんと思ってること言おうぜ!ということを出発点にしていて、それは今でもわたしの目標ですが、何も全て正直に言えばいいってものでもなくて。
一緒にいるために言えないこと、
言ってしまったら一緒にいられなくなってしまうかもしれない言葉は絶対にあって、
それを口にするのは簡単なことではないです。だけど、それを飲み込んで、心のどっかに隠しておくことがしんどくなって、そうまでして一緒にいるって何だろう?
大切な人だからこそ大切なことが言えないのは往々にしてあるけれど、
それって実はとても寂しいことだし、不健康な関係なんじゃないのかなと思います。


だってきっといつだって、
その人といるのが楽しいから、嬉しいから、一緒にいたいと思ったはず。
何も、苦しむために一緒にいたいと
思ったわけではないはずなんです。




↑フライヤーのオフショットです。
これを撮ってくださった百音さんが、公演が終わったあと、未来の二人みたいだねとわたしに送ってくれました。
ああ、確かに。あの二人がいつかこうなってくれていたらいいなと心から思います。



さよならのかわりに。
気を遣うという仮面を被った
ごまかしの言葉ではなく、
もういいやと諦めて手を振る勇気でもなく、
相手の手を握って、目を見て話す覚悟をもちたい。
公演を改めて振り返ってみて、
今、そんなふうに思っています。



水無月光梨

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