我々はどの方角を向いているだろうか(『グレート・ギャツビー』をめぐって)/高嶋友行


 はじめまして、こんばんは、高嶋友行と申します。ぼくは劇団木霊2019本公演『グレート・ギャツビー』に潤色・演出・俳優として参加していまして、最近はこの作品をより良いものにすべく、仲間たちと考えを巡らせる日々を送っています。
 これがタフネスかつストイックに打ち込んでいる、というよりは楽しみながら新しい発見を分かち合う、という感覚に近いのでなかなか有意義に時間を過ごしているように思えます。
 偉そうで恐縮なのですが、有意義な時間を過ごすぼくなりのコツとしては、物事に際してまずひとつ、遠くの方に大きな命題を設置して、そのあと前の方から具体的な課題を少しずつ小分けにして置いておくことです。そしてそれについて思考し続けること。グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』をご存知でしょうか。おそらく図示するとあんな具合だと思うのですが。

 観てくださった方や俳優、スタッフたちに心地よく作用する演劇とは? これが我々の大きな命題といえるかもしれません。これを巡って常に悩みはつきないのですが、実はぼくのなかにはひとつ、これについてささやかなイメージがあります。皆さんはこの写真をご覧になったことはありますか。
ジョセフ・コスースというアーティストの One and Three Chairs という作品です。初めてご覧になった方のために説明すると、この写真は左から〈椅子の写真、本物の椅子、椅子の辞書的な定義〉でもって構成されています。ここで大切なのは、3つは様相こそ全く異なりますが、どれも間違いなく〈椅子〉を表している、ということかと思います。
 ふむふむ…だから何? と思われた方、よろしければぼくと一緒にすこし考えてみましょう。つまり我々(人間)が物を認知するとき、そのものの概念(イメージ、図でいう椅子の写真)とそのものを表現するもの(椅子とかchairとかいう名前、その定義)に分けて考えることができるということなんです。余計わからなくなった? 
 例えば、フランス語でパピヨン《Papillon》というと日本語でいう蝶または蛾のことを指すそうです。言語によってその概念を表す範囲が異なるってことだと思います。sisterって言っても姉か妹かわからない、みたいな。
 つまり上の作品は、そういう形を持たない、ちょっと哲学的な議論をすごく具体的な椅子というイメージでもって想起させている点がスゴイ!と評価されているんだそうです。なるほど、難しい。
 
 前置きがあまりにも長くなってしまいましたが、つまりはぼくは演劇というものを、皆さんにこういった発見をしていただいて楽しんでもらう場だと捉えている、ということです。アハ体験、というやつですね(?)
 振り切っていうと、鑑賞者が自ら何かを発見して、それに喜びを感じない限りその芸術は無価値であり、その鑑賞に費やした時間はあまり有意義な時間とはいえない、というのがばくの考えです。

  皆さんが作品から何かを発見して、それを日常のふとした瞬間のなかで思い出したり、自分なりに理解したり…そういう体験を一緒に分かち合えるような人間になること。ちょっと大げさですが、これはぼくの人生という長い範囲における、大きな命題といえると思います。そしてこのお芝居はヘンゼルが道しるべとして置いていくような、具体的な課題のひとつとなるはずです。
 ぜひ一緒に唯一の体験を楽しみましょう!お菓子の家で待ってま〜す🍰🍬🍭🍫

(末尾に予約フォームを添付させて頂きます、気が向いたら、予約してみてください)

劇団木霊

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